18歳の大学生が2社経営できるようになった話

元は、低偏差値のFラン大学生だった僕が、スキルも知識も経験も資金もない状態から学生起業家へと進化し、大学を中退、今や多岐にわたる事業やビジネスを行い、割と自由な人生を送れている考え方やライフスタイルをお伝えしていきます!

『父に影響された、たった一つのこと』

最近ある決断をしました。


薄々気づいている人もいると思いますが、
大学を辞めることになりました。

 

そんな動きにうっすら気づく友人から

 

「最近何してるん?」
「学校こやんの?」

 

そう言われることが多くなりました。

 

僕は昔から、
やると言えば人に何を言われようと
自分の意思を変えないタイプでした。

 

なので今も人に何言われようが自分の夢や目標のために突っ走ろうと思って
大学は辞めようと決意しました。

 

「じゃあお前どうすんの?」

 

と言われるので、
なんでその決意に至ったかを
今回は長々と話そうと思います。


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小さい頃に父の今までの
生い立ちを聞いたことがあります。

 

父は長野県の小さな村出身です。
なので高校を出て、
すぐに地元の工場に就職しました。

 

そしてそれと同時に家を追い出され
一人で暮らし始めました。

 

もちろん給料は低く、
貧乏生活を送っていたそうです。

 

そんな中、父には趣味がありました。

 

それは山道を颯爽と駆け抜けるような
山のラリーです。

 

その当時長野県のアマチュアで3位になったこともあると言っていました。

レーサーとしてももっと頑張っていきたいというときにある転機が訪れました。

転勤です。

 

ただその転勤先は大阪なので、
父からすると収入も上がるし、
都会に出れるしかなり
嬉しかったのかなと思います。

 

その傍らレースをやめないといけないという
悲しい思いもあったのではないかと感じます。


ですが、その運命がなければ
今の僕は生まれていません。

 

その大阪転勤で出会った女性が
今の僕の母親です。

 

なので結果から見ると父は大阪に来て正解だったんだと思います。

 

ただ、大阪に来た当時はまだまだ給料も少なかったんです。

 

高卒の工場からきた若造がそんな多くもらえるわけもありませんね。

 

でも時間は多く拘束されるし、

技術士なのであちこちに

仕事をしに行って
機械の修理をして家に帰る
という生活だったらしいです。

 

家に帰って炊飯器をみたら
白色ではなくなった白米が
なぜか動いている(虫が湧いていた)
ということもしばしばあったそうです。

 

それくらい多忙で貧乏な生活を送っていました。

 

というよりも生まれた時から家庭が貧乏だったらしいです。

 

なので今の父の好物は”ふりかけ”です。

 

小さいころにそういったものを食べる機会がなかったかららしいです。

 

では父の両親の仕事は
なんだったのかというと、

実はおじいちゃんは自営業でした。

 

山の木を切り、
その木材を街に出すという
会社をやっていました。

 

じゃあなんで父は
そこを継がずに家を出て行ったのか?

 

そんな貧乏生活をしなくて
済んだのではないかと思い、

 

そこがどうしても気になって
ある日聞いてみることにしました。

 

その理由は簡単でした。

 

「おやじのことが好きではなかったから」

こう言われて少し悲しくなりました。

 

なんで好きではなかったのでしょう?

 

祖父の会社は赤字続きで
かなりの借金がありました。

 

それなのに祖父は
「人の下につく仕事は嫌だ。」


という理由だけで会社をやっていたそうです。

 

確かにその考えでは黒地になることはないって
誰でもわかりますね。

 

でももし、父が自分の父親が好きで
その会社で一緒に頑張って、
協力して経営していれば
黒字にもなったのかなとも思います。

 

そうすれば、
大好きなラリーもできるし、
趣味のバイクでツーリングする時間もあるし
収入的にも満足のいくような生活だったのかなと。

 

そんな状況でも父に甘えず
就職→大阪転勤→本社転勤
ここまで上り詰めた父は本当に尊敬できます。

 

今は課長をやっていますが、
年収で言うと1000万くらいまで
頑張ったのです。

 

ちなみに本社に移る時に
サービスマンではなく、
営業マンに転向してくれと言われ、
父は機械をいじるのが好きなのに、
営業マンに転向しました。

 

それは今後の家族のため、
嫁のため僕のため、
僕の兄のためにとってくれた行動でした。

 

どれくらい営業マンが嫌だったかというと、

「営業なんか絶対に嫌!
それならホストにでもなって働きたい!」

 

ホストとしてお仕事している方には
失礼な書き方かもしれませんが
実際にこう言っていたそうです。

 

その努力のおかげで
僕は大学まで行くことができました。

 

「じゃあなんでそんな思いで
行かせてもらった大学を辞めるのか
親不孝じゃないか!!!」

と思われるかもしれません。

 

でも僕は構わないです。

 

なんで辞めてまで夢を追うのか。

 

そのきっかけは簡単でした。

 

「俺も若い頃はめちゃくちゃやったなぁ〜。
ただもっとしたいことできたのかな、、、 」

 

この一言で
僕は何かが頭の中で弾け、
全身にビビッと電気が走ったのを
今でも覚えています。

 

「まだまだどんな夢でも叶うんじゃないか?
おやじができなかったことを
俺がして恩返しをすることが
一番の親孝行なんではないか?」

 

若干自己中な解釈に思われるかもしれませんが
僕は本当にこう思いました。


そんなときモヤモヤしていた
将来への道をしっかり考えるようになり

 

今では自分で事業
立ち上げようと思って動いています。


ただ僕の身内には
それで失敗している人が多いです。

 

おじいちゃんも8千万の
借金を残してこの世を去り、
おじさんもうまくいかず倒産し、

 

そこで様々な出来事があったので
そこが気になる方は直接お話しましょう。笑


だから家族からは常に心配されてます。

 

ですが関係ありません。

 

僕はやります。

 

痛いと思われてもいいです。

 

できないだろと思われても僕はやります。


そしてこの姿勢を見てもらって
一人でも多くの人に良い影響を与えたいなと思っています。

 

そして 今一番したいことは、
親にありがとうの気持ちを込めて
車をプレゼントすることです。

 

早くプレゼントするために日々精進しようと思います。


一人一人直接話したいことも多いのですが、
時間は有限なのでそういうわけにもいきません。

 

なのでエネルギーが欲しかったり
直接話したいとかあればLINEしてきてください(^^)

 

いつでもウェルカムです!


色々迷惑かけたり心配させたり、
暖かく黙って見守ってくれたり、
本当にありがとうございました。

 

そしてこれからもぜひ応援してください。
そんな声が励みになりエネルギーの源になります。


もし新事業で会社にするとなった時は社名を募るので、

どしどし意見下さいね( ´ ▽ ` )ノ


内容というよりきっかけみたいな
感じになってしまいましたが、

どんな内容しているかとか
文字にすればかなり長くなるんで
やめておきます!

 

お酒弱いですが、
飲みにでもいって話しましょう(^^)

 

では最後まで読んでいただきありがとうございました!


P.S.
やめようとしたのですが、
先生に止められまくって時間の無駄だったので
とりあえず半期の休学になりました!笑

半年後に大学去ると思います!
花束待ってます!笑


では!